日本語と漢字(1):夜間中学に学ぶ

 日本人以外の、と言っては今の世の中誤解を招くので、ここでは日本語をルーツにしない人々といっておこう。そういう人が日本語を新規に学び始める時、あるいは日本語を改めて学ぶときにぶつかる困難の一つが「漢字」である。

私は日本語が漢字、カタカナ、ひら仮名の三種類の文字を持つこと、音読み、訓読みがあることなどがなぜなのか、という大枠について中国から輸入して日本語として消化してきたことの概略を話すようにしている。「元々日本語という和語には文字がなかった。ある時日本は中国から文字を輸入した。その文字列は今でいう「外国語」である。中国からではなく、ローマ帝国でも良かったが、日本の地理的条件から漢字を輸入した。

 輸入した外国語としての漢字に和語を当てはめて日本語として消化するには大変な努力と時間がかかったが、どうやら漢字は日本語と分かちがたいものとなった。一つは現代でも使われているカタカナとひら仮名の発明である。早く言えば、これは漢字の形から出てきている。もう一つは音読みと訓読みの二つを併用したことである。カタカナとひら仮名の二つの内、カタカナが最初にできたであろう。しかしその使い分けはどうするのか….」など、専門家から見たら異議あり、と出てきそうな雑駁な俯瞰である。しかし、文化交流は単純なものではなく、裏に苦闘と努力があることを生徒さんにも知ってもらいたいと思う。

 さて、この駄文の主題は漢字である。漢字は複雑でしかも数が多い。漢字を見慣れない人には敬遠したくなるであろう。私は漢字が一マス目に入ることに着目して、漢字を形状的に部品化し、それを組み合わせ、再構成するということを視覚的に教える。おおざっぱに言って4つの部品である。一番上はうかんむり(屋根)、へん(右の部屋)、つくり(左の部屋)、しんにゅう(家の土台)。ちょっと複雑な漢字もその部品化と再構成という原理を知っておくことは便利であると思うのだが、本当にそうなのか、夜間中学の生徒さんでもっと試してみなければならない。

 二つ目は漢字の組み合わせである。初学者は漢字を一つずつ覚える。その時に音読みと訓読みも覚える。その段階では漢字は各々独立した、あるいは分離したものとして認識されていて、日本語の中でどういう機能を持っているか、までは思い至らない。漢字は二つ以上が連結して、意味を一般化するとともにイメージを拡張する働きがある。例えば田畑(「たはた」と読むか「でんばた」と読むかはさておき)という二つの漢字から成る熟語は「田」と「畑」というそれぞれの漢字が持つイメージより、より広いイメージになると思っている。熟語を一組ずつ機械的に覚えるよりも、イメージの広がりを実感するようになることが大事であろう。もちろん本家中国にも熟語がある。しかし日本の熟語とは性格が異なっているようだ(このあたりに中国人が日本語を学習するときの落し穴があるが、それは別に書きたい)。

 この熟語がもつ一般化の機能は、日本語が高度な概念をものにする上で非常に貢献している。日本語は教授言語として、他国語の力を借りなくとも高等教育が行える数少ない言語である一つの理由もそこにあると思う。日本語がハイコンテクストの言語でありながら、同時にロジカルな思考もできるまでに至ったことを裏付けている。日本で出来た熟語(とりわけ科学や社会科学に関する熟語)は本家中国にも取り入れられているという。一方で、この熟語という造語機能は日本語を名詞優勢の言語性格を強めてきたようである。英語と比較すれば(多少でも私が比較できる他言語は英語しかない)、日本語は静止的表現を多用し、英語は動的表現を多用するように感じられる。

 このようことを書き連ねていくと、夜間中学という空間で学んでいるのは生徒さんだけでなく、教える側のスタッフはより以上に学ぶ機会を与えられていることに気がつくのである。

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