偏見とアニミズム(5)         夜中から学ぶ

 さてこの偏見とアニミズムのエッセイも5回目を数えることとなったので、まとめをしたうえで、アニミズムが政治的に利用されたことに触れておきたい。

 まずはまとめである。

・アニミズムはどの文化にもあるものだが、概念として言語化されたのは近代である。ラテン語の「anima」(アニマ)に由来する。この語は、「呼吸」「生命」「霊魂」を意味し、18世紀のドイツの化学者・医師ゲオルク・エルンスト・シュタールが1708年にラテン語の生命を意味するアニマから「animismus」という用語を創造し、魂が生命体の基本原理をなすという生物学的理論として展開した。その後、19世紀のイギリス人人類学者エドワード・タイラーが、1871年の著作「原始文化」において、アニミズムを「人間的および他の霊魂ならびに一般的な霊的存在についての教説」と定義した。このためアニミズムは原始的な文化を象徴する言葉として受け取られた。

・アニミズムはいろいろな形で、文化の隅々まで浸透しているためにその文化の中で生活している人には気がつきにくい形となり、気がついても言語的に説明は容易ではない。歴史が長く、アニミズムが豊かな国の住人程むつかしいのである。

・日本の文化に潜むアニミズムは既に取り上げた。日本は世界でもまれなほどアニミズムが豊かな国であり、歴史的にも継続性が保たれている。そして、文化現象、事象の基底をなして影響を与えてきた。しかしアニミズムは素朴な形のまま、古代から継続していたわけではない。特に近代においては政治的に利用されたこともある。

 このエッセイではそのことを取り上げたいと思う。

 一つ目は靖国神社である。神社と言えばどこであっても歴史を経てきた古き信仰対象であると世間は理解するが、靖国神社だけは全く異なる。元々は東京招魂社という名前であった。創建されたのは1869年に明治天の勅命による。その目的は戊辰戦争(1868~69年の日本最大の内乱)で死んだ兵士の鎮魂を目的としたものであった。つまり政治的必要性から「発明」されたものであり、伝統的宗教施設ではなかったのである。

 ここに靖国神社は民間のアニミズムすなわち「ご先祖様になって、子孫を見守る」を持ち込んだのである。つまり「国のために死んだら、国の行く末を護る」と置き換えたのである。第二次大戦末期、日本の兵士たちは「靖国で会おう」と約束のもと死地に赴くこととなった。赴かされたというべきであろう。素朴なアニミズムは神道を国家神道に再編するに利用されたのである。明治政府は、神道は宗教ではない。国家的な道徳実践であり「宗教の自由には抵触しない」との詭弁で国民を納得させ、教育勅語とともに非宗教的愛国行為という戦争準備への洗脳を行ったのである。その延長線上に体当たり特攻の思想がある。

 戦後、東京裁判でA級戦犯・処刑となった14名を戦犯遺族への事前通知なく靖国神社はひそかに合祀した。時の宮司松平永芳は、明確に東京裁判を否定する確信行為を行った。一方で天皇制度は原始アニミズムの系譜にある。このことを後に知らされた天皇は強い不快感を示し、以後、靖国神社に参拝しなくなった。平成、令和の天皇もそれに続いている。私の父親は海軍に志願し、戦後復員して結婚してから母親の影響下でキリスト教に帰依した。戦争経験者として戦跡の訪問に熱心であったが、靖国神社を話題にしたことはなかった。

 二つ目は原爆投下と被害者の関係性である。私の祖母は原爆の放射能に被爆し、全身に紫の斑点が浮き上がって一か月後になくなった。私の妻は被爆2世である。広島平和公園の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませぬから」、長崎平和講演の原爆慰霊碑には「長崎を最後の次の被爆地とすることを誓う、原爆犠牲者の霊よ、安らかに眠り給え」とある。建立当時からこれらの碑文の主語は誰か、という論争が続いた。

 広島市の公式見解はとおりである:「過ちは、特定の国家や一個人の責任を指すのではなく、「戦争という人間の営みそのもの」「核兵器という人類全体の過ちの結果」を指す。したがって、この碑文は「すべての人類」に向けた「二度と戦争・核兵器を使用しない」という「全人類的誓い」である」。長崎の碑文も全く同じ精神で刻まれている。

 一方でインドの東京裁判判事・ラダビノッド・パールは、広島の慰霊碑を訪問した時、この碑文の「主語の曖昧性」に対して深刻な疑問を呈した。「過ちは繰返しませぬから」という碑文に主語がないことは、「きわめて意図的な表現方法」である。広島は、「アメリカの核兵器使用という過ちを具体的に非難することなく、代わりに戦争という人類全体の過ち」という「抽象的で、責任を分散させる表現」を選んだ。これによって、特定の国家(アメリカ)の戦争犯罪の具体的責任を追求する道」を「意図的に遮断した」のではないか、という主張と論理である。

 パール判事の生い立ちはインドであったが、初等教育から大学の法学部まで英国式の教育を受けた(インドは英国の支配下にあったから教授言語は英語である)。当然、主語は誰かという意識は強かったであろう。英語も彼の母国語であるヒンディ語もとりわけ主語優勢の言語である。また彼の教育基盤は西欧の法学であり、個人の責任を明確にするものであった。

 時は流れて2024年のノーベル平和賞を日本の被団協が受賞した。原爆の被害はどちらかというと広島に焦点が当てられがちであるが、被団協の組織は広島・長崎の両方を含んでいる。ノーベル平和賞の受賞理由は次のとおりである:「核兵器なき世界の実現に向けた取り組みと証言を通じ、核兵器は二度と使用されてはならないことを世界に示したことに対して」。この受賞の理由には、特定の個人あるいは特定の国、特定の状況に関して責任論が全く含まれていない。ただ一つ、原爆が投下され、甚大な犠牲者を生んだという悲劇的状況と人類の関係性が主題なのである。

 ここまでのエッセイの考察を繰り返すことになるが、アニミズムに基づく文章の主語は主題の背景に溶け込み、姿を消す。広島の公式見解は、公式という冷淡なものではなく、原爆を生み出した人類全体に対する反省であり、自制を問う。ノーベル平和賞の授賞理由は、原爆を使ってはならないという世界的規範の確立を評価したことである。アニミズムに基づく碑文の意義が世界に理解されるまでに80年を要した。各国の文化の基底にあるアニミズムの本質と文化への影響力を理解しなければ、偏見が生まれると言わざるを得ないのだ。

 父親は99歳で亡くなる前に自分史を作成し、インドネシアに従軍したときに間接的に経験したインドネシア人の殺戮の経緯を書いた。キリスト教の洗礼を受けるときにそのことを信仰告白したかどうか今になってはわからないが、キリスト教に帰依した理由であったろう。母親は中国からの引揚者であったから、祖母の死に目にはあっていない。しかし祖母のキリスト教信仰が母親にそして結婚した父親に伝わったことは間違いない。語られないことによっても、伝わり、継承されるべきものは伝わるのだと、ようやく思える年齢に私が達したからなっとくできるのであろう。夜中ではアニミズムをキーワードとした文化交流をしてみたいと思う。

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