偏見とアニミズム(3) 夜間に学ぶもの
このアニミズムと偏見のエッセイも3つ目になった。およそアニミズムというものがどんなものかイメージが出てきたと思うが、日本文化の基底にはアニミズムが確個としてあり、現代に繋がっている。古典芸能はその典型の一つである。日本の古典芸能は他国と比べても豊かである。日本の古典芸能がアニミズムとどのような関連をもって現代まで継承、発展してきたのかという問いについて書くことに現代に伝わる古典芸能を列挙すると次のようになる:(UNESCO登録の五大芸能)能楽(能と狂言)、文楽(人形浄瑠璃)、歌舞伎、雅楽(帝王宮廷音楽舞踊)、組踊(沖縄の伝統音楽劇)。それ以外の重要な芸能として、神楽、延年、田楽、猿楽が挙げられている。
私がなぜ古典芸能とアニミズムを結び付けたかと思い返すに、数年前佐渡島を一周する機会があったのだが、その時に村人、金山の工夫達のために立てられたという素朴な能楽堂が島に30数か所あったことが思い出されたからである。現代の能楽は極めて洗練され、繊細なものであるが、一方で庶民が楽しむ娯楽としても並行して継承されている。農民や工夫は土地や自然を相手にする。アニミズムと共生、共存する生活でないはずはない、という思いからであった。
古典芸能の源流は大雑把にいうと、古代の神道(神楽)に農民のお祭り(田楽)、中国から伝えられた猿楽が混合したものである。時代は下って14世紀後半に足利義満が世阿弥の猿楽の娯楽性に魅せられたと言われる。その後猿楽は仏教的儀礼の影響を受けて能へと変容し、「亡霊の救済」という宗教的、精神的なテーマを主題とするようになった。今日に伝わる能の代表的な演目は「敦盛」「松風「道成寺」である。
「敦盛」は敵同士であった二人の相互理解と悲しみを共有し、「松風」は救済が一方的に与えられるのではなく、亡霊が自分自身の執着から解き放たれることで得られること、そして「道成寺」は捨てがたい執着心がこの世の中での苦しみの根本であることを説く。こうした宗教的、倫理的説諭のテーマが日本人の心情に訴える娯楽となることは、ギリシャの古典劇と相通じるであろう。しかし日本の古典芸能は歴史的に途切れるということはなかった。一方のギリシャ古典劇は2000年間忘れられていたのである。ここに日本のアニミズムの連綿性を見ることができる。
能楽はほんの一例であるが、現代日本においても人気のある古典芸能であり、そのテーマの精神性は日本人の性格形成に大きな影響を受けた。現代の映像娯楽である「となりのトトロ」もまたアニミズムの一つの形である。ファンタジックで美しいアニメーションとして鑑賞することから入ってもよいが、そこには日本人の精神性の源流を踏まえて作品化されたことが、外国の人びとにも分かってもらえるなら素晴らしいことである。
日本人が外国で日本文化を紹介して欲しい、と言われ、日本文化について何も話できず後悔したというエピソードを少なからず聞く。文化の表層は国によって異なるので、表層だけを切り取って面白おかしく比較するだけでなく、その違いのその奥にあるものは何かと考えることは深い文化交流につながるであろう。人間の生死や庶民の日常の本質は皆同じとすれば、共通するものがどのように異なる表現、儀式、慣習として現れるか、それを知ることが文化交流の向かう方向であろう。
夜間中学の生徒さんたちの間でそのような教えあいが出来れば素晴らしい。