日本語と漢字(3):夜間中学に学ぶ

 高校時代、漢文は国語の一分野として学習した。大学の試験でも国語の試験の中に漢文が含まれていた。漢文は中国語であるので、外国語として輸入された当時の状況を、歴史か英語の時間に学ぶと視野が広くなって良いと、今では思う。が、逆に言えばそれだけ和語が漢語を取り込むことに成功した証拠かもしれない。アジア大陸の東の端の国々は中国の朝貢システムに取り込まれて、いわゆる漢字圏を形作っていた。しかし朝鮮は漢字を放棄してハングルに転換した。ベトナム(越南)も漢字圏であったが、漢字を放棄した(とは言え、文化的に親和性は残っている)。日本だけが漢字の取り込みに成功したのである。

 漢語の構造は日本語より英語に似ている。端的に言うと主語の次に動詞が来る(S+V)。日本語は主語の次に目的語が来ると言える(S+O+V)。語順が違うことは言語間距離を大きくする一つの要素であるので、当時の日本人はどうしたか。いわゆる返り点という規則を発明した。返り点の規則を使って漢字の文字列を和語の順に並べかえ、漢字に和語の意味を対応させたのである。これによって漢語は和語の書き下し文と化け、理解できるようになった、とまあこんな具合であろうか。

 漢字に和語の意味を対応させたとき、漢字の本来の発音も、和語の発音も原則両方残した。それは今日、日本語を学習する現在の人たちの負荷を増大させることになるのだが、日本人にとっては漢語と和語の間を取り持つ親和性として働いたに違いない。明治になって西洋の進んだ文化、文明を取り入れるために、識者たちは漢字を組み合わせて和語の概念の高度化を図った。坪内逍遥や福沢諭吉、新渡戸稲造など名の知られた識者の貢献は計り知れない。

 また文化的親和性があったために、漢語、漢文は知識人の教養であり続けた。太平洋戦争前の軍人、知識人らの英語力は極めて高かったのはそうした背景があったからである。私はかって長岡市にある山本五十六の記念館で、彼の肉筆の英文ノートを見たことがある。とても日本人が書いたとは思えなかった。漢語、漢文を使いこなしていたというより、日本のエリート社会にはバイリンガル、トリリンガルの時代があったというべきであろう。

 翻って今日の日本は英語のテキスト、辞書、オーディオ教材、ラジオ・テレビプログラムなど切りがないほど溢れている。しかし英語力は伸びない、世界各国の中で低位に沈んでいる、という評価に文部科学省は業を煮やしている。そもそも文部科学省の本省のエリートたちの英語力はどのレベルにあるのか、彼らは国民の手本になるべき語学的素養と方法論を持っているのだろうか?

 言語習得に近道はない、ということを思い知るが、AIが幅を利かせる時代に昔ながらの学習法を復活させることは現実的ではない。としたら、夜間中学で背景が異なる生徒さんたちと、どのように勉強していけば良いか、途方もつかない。

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