鳥と空想に遊ぶ(2):大阪市立自然博物館「鳥」特別展

 前回は鳥の祖先は恐竜の一種であり、なぜ恐竜はあんなにもドデカであったのか?といささか脱線してしまった。今回は鳥の飛翔能力とエネルギーについて空想してみよう(これも脱線気味の予感がするが)。

 鳥の仲間にはものすごい距離を飛ぶものがいる、という展示があった。それですぐに思い出したのは、社会人になったばかりの会社のエライ部長さんが登山家で、ヒマラヤ山脈を登っているときにヒマラヤ山脈の上空をつるだったか、中国大陸方面へ編隊を組んで飛んでいくのを観察した。それが新聞に報道されたという記憶が蘇った。長距離を飛ぶ能力、方向を見失わないナビゲーション能力、8000メートルを超える高度を飛び、しかも酸欠にならない能力、編隊を組んで空気抵抗を集団として少なくする知恵など、どれも驚くことばかりである。ちなみにノンストップで最長距離を飛ぶ鳥はオオソリハシシギ(英名: Bar-tailed godwit)で、アメリカ合衆国・アラスカ州(繁殖地)から、オーストラリア・タスマニア州(越冬地)まで太平洋を横断、無着陸で飛行するという。約13600キロメートルである。ノンストップでなく、「一年間の総移動距離」が最長なのは別種のキョクアジサシ(Arctic tern)で、年間6万〜7万km以上飛び回り、移動するという。

 生物のエネルギーは、ATPという化合物が分解するときに発生する自由エネルギーを利用する。この原理(解糖系)は大学で学んだが、当時はそんなものかということだけの理解であった。ところが社会人になって配属された研究室では、魚の鮮度について解糖系の途中で生成、蓄積する化合物に着目して鮮度を数値化する試みを研究した。余談ついでにそんなことも思い出した。

 ところで京都博物館に行ったときは、蒸気機関の発明が産業革命をもたらしたことを実感したが、蒸気機関は生物を凌駕する多量のエネルギーを開放、生成する。それに比べて鳥のエネルギー放出はささやかで控えめであるが、驚くほど効率がよく長持ちする。もし蒸気機関の代わりに生物のエネルギーの利用法を工学的に発明していたら、この世の中はどんな世界になっていただろうか?

 まず両者のエネルギーの性質が全く違う。石炭、水力、石油、原子力はいずれも大きな外部の発生装置を必要とする。生物のエネルギー発生装置は生体内に組み込まれている。片や爆発的であり、もう一方は持続的である。もし世の中のエネルギー発生方法が生物の仕組みを利用していたなら、社会の在り方は全く変わっていただろう。爆薬で自然の地形をまるで変えてしまう代わりに、自然に逆らわない方法で自然に寄り添い、利用するという土木工学になっていたはずである。文明技術の本性は「強引、強欲そして屋上屋を重ねる」、である。

 現在主流のエネルギーは大量生産や強引な設計を可能にした。旅客機は一度に何百人とその荷物を積んで飛ぶ。戦闘機は重力に逆らって垂直、背面、回転など曲芸飛行も可能である。鳥はそんな無茶は出来ない。その代わり持続的に自分のできる範囲内で生きていく。もし生物型エネルギーを現代のエネルギーの主流にするなら、社会の変化(敢えて進歩とは言わない)はずっと緩やかになって、人間は人間らしく生きて行けるだろうか、と空想するのである。そうすれば持続可能な社会、人間性を取り戻す社会などの政治的スローガンはお蔵入りになるはずであり、国連傘下の組織もいくつかは不要になるだろう。

 ヒマラヤ山脈を飛び越える、つるの話に戻る。

 鳥の編隊飛行は先頭の鳥に負担がかかる。空気抵抗というのはバカにできない。鳥の先頭は時々交代するという。マラソンでも出だしはトップをリードする仮の走者が設定される。マラソンは競争であるので、トップを競技者にどこかで引き渡した後はランナー同士の駆け引きとなる。しかし鳥の編隊飛行は集団として無事に到着することにあるから、集団共助としての交代である(平和的ですね)。これは生まれ持った能力なのか、編隊を組む間に学習するのか、それは専門家に聞いてみたいと思うが、人間は辛酸をなめても戦争を止めない。「人間は学習しない(できない)動物である」という結論に脱線してしまった。

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鳥と空想に遊ぶ(1):大阪市立自然博物館「鳥」特別展