第二言語習得の難しさ(1):夜中に学ぶ
外国語を第二外国語として学ぶとはどういう困難があるのかを考えてみたい。今日の日本の学校教育では第二外国語として大方英語を選択する。学習の目的として資格試験に合格することや、大学進学のために(仕方なく?)勉強する、ということであろう(もちろん例外があるということは当然である)。最近は民間の資格試験(例えば英検)の成績を必要とする大学受験もあるらしい。
今日、夜間中学には日本人より外国にルーツを持つ人々や家族が多く集まる。彼ら、彼女たちには日本語を学ぶということは、生きていく上での必須条件である。日本人の英語の学習目的とはだいぶ違う。彼らは自分たちの生活維持だけでなく、母国の家族に送金することも大きな目的である。良い仕事、良い職種、スキルを磨いてより高い給料を稼ぐために、語学力は必須となる。第二外国語を学ぶ動機は両者で相当に隔たっている。よい職場、仕事、給料を求めて転職、転居することは珍しくない。だから自主夜間中学では生徒さんの入れ替わりが結構少なくない(いつの間にか、担当していた生徒さんがいなくなるのは、結構淋しいことである。同時に転居して行った先に夜間中学があるかも心配である)。
反対に彼らに日本語を教える側の日本人(教員経験、資格の有無は問わない)は、学校教育システムを登っていくための教育(教科を問わない)を受け、トレーニングを受けている。その中心は、教科書、テキストである。小学生から一応高校まで、12年間そうした授業がシステマティックに続く。そうした授業形態と方式が典型例、模範事例として教える側にしみこんでいる。生徒さんに日本語を教える時にもそうしたやり方を無意識に適用する危険性がある。
日本のように、生徒の年齢と教育システムの階段が対応している国は、珍しいと言われる。生徒の年齢が揃っていることは、教えやすさ、効率の良さに繋がる。公的学校教育は金太郎飴をつくる、と揶揄されることもある。しかし、夜間中学に来る生徒さんの背景、動機、目的、学びの内容を学習する時期など、一人ひとり異なる。日本語能力を獲得することが、生きる上で必須条件であっても、その内側は複雑である。
ざっと見ただけでも夜間中学というのは、教える側、学ぶ側の両方にとって難しい課題を持つ場であると心するところであろう。