日本語はあいまいか?(2)  夜中から学ぶもの

 先の一文「日本語はあいまいか?(1)」で、古来の日本には中動態という第三の「態」があることについて書いた。そのことについてもう少し踏み込んでみたい。

  Thinkという英単語にはデカルトに代表されるように、確個とした主体が、関心を持つ対象に向かって思考する「能動」の行為である。これに対して日本語の「(ふと)~と思われる」は自分の意思とは無関係に、状況や文脈の中から思いや心象、感情が沸き上がってくるという自発的な現象と言える。

 この状況や文脈のことを「コンテクストcontext」という。日本語は状況や文脈の流れを重視、重点を置く言語であるから、ハイコンテクスト言語・文化と言われる(その反対は英語に代表されるローコンテクストである)。余談だが、この概念は1950年代にエドワード・T・ホールがコミュニケーションの研究のために作り出した概念である。

 ここで私がボランティアしている夜間中学に戻ると、30数名の生徒さんのうち8割近くが外国人労働者とその家族(学齢期前から高校生ぐらいまで)と、外国にルーツを持つ人々である。国籍は日本以外に、ペルー、中国、フィリピン、パキスタン、アメリカ、ネパール、フランス、インドネシア、ベトナム、ブラジル、ミャンマーなど多彩である。こうした国々の文化、歴史は当然異なる。異なるということは頭で理解できても、教える側がコンテクストから見た違いを具体的に知り、日本語への理解を繋げる説明をすることはなかなかむつかしい。

ざっくりと言えば、

1.     東南アジア諸国の韓国、中国、ベトナム、ミャンマー(ビルマ)は日本語の兄弟、親戚のような言語的性格を持っていて主題優勢言語である(ベトナムの女性が日本語はあいまいだと言った背景は、まだ十分に日本文化「コンテクスト」の内容を消化していないからであろう)。

2.     フランス語(ロマンス諸語)、スペイン語(ペルーもスペイン語である)も日本語の中動態に近い性格をもっており、責任回避の方法?として「再帰動詞」がある。例えば英語ではI dropped the pen(私が(その)ペンを落とした)であるが、スペイン語ではSe me cayo la pluma(ペンが(勝手に)私の場所で落ちてしまった)という言い方を好む。

3.     フィリピン(タガログ語)は世界的にも特殊な「焦点フォーカス」システムをもつ。このシステムは何(誰が、何を、どこで)に焦点を当てるかで動詞の形が変わるというものである。例えば、を食べた、が食べた、お皿で食べた。この太字の部分がどれも主語になりえる。英語のように行為者が常に主語の位置に座るのではなく、話し手の関心のある要素が主語の座に来る。

4.     英語は行為者が主語の座に居座る最も主語優勢の言語であるが、パキスタン(ウルドゥ語)、ネパール語もある程度主語優勢言語である。

 このように世界の言語は一つの文法(構造)で整理できるものではないが、教える日本人スタッフが、義務教育から高等教育まで一貫して押し付けられた英語文法を借用した日本語の理解にとらわれていると、学習者の戸惑いは増すであろう。

 それでは夜間中学ではどうしたらよいか。私たちの夜間中学では生徒さんと教えるスタッフが1:1のペアを作る。しかしその組み合わせは時に変われば生徒さんの母語も変わることが多いので、その都度生徒さんの母語の特徴を確認しなおすのが適切だろう。外国学習者は発音にしても母国語を基準に考えてしまうからである。まずは学習者が、日本文が何を話題にしているかを常に意識させることだと考えている。

       

Previous
Previous

  日本語はあいまいか?(3)      夜中から学ぶもの

Next
Next

  日本語はあいまいか?(1)    夜中から学ぶもの