Limits to medicine Medical Nemesis: The expropriation of Health by Ivan Illichを読み直すヒント(4) 無益な医療、医師が引き起こす健康被害

医療に歯止めをかける:医療における因果応報

 

本エッセイは掲題のペーパーバック1995年版を翻訳した全文から要点を抜粋したものである。原題と目次の訳は以下のとおりである。(訳文の全部を開示していないのは版権の問題がクリアされていないためである)

第I部:治療現場における医療

無益な医療

イリッチは医療が平等主義と結びつき、独占化したために非常に高価につくものとなった上に、効果が疑わしい部分があることを指摘する。

      ■驚くほどの医療技術は平等主義の論理と結びついて、現代医療が非常に有効であるかのような印象を与えるようになった。確かにこの直近の世代の間に、いくつかの分野の治療法は非常に有用になった。しかし、専門家が医療を商売道具として独占していない時代に広く普及して病気に適用できたものは、通常は非常に安価で個人的な技術、材料、病院の管理サービスも最低限で済むものである。これに対して、今日天井知らずに高騰する医療費のほとんどは、どれほどよく見積もっても効果が疑わしい診断と治療法のために費やされている。

 

彼は感染症に対する化学療法やワクチンの進歩とその恩恵によって医学に対する一般人の信仰が培われてきたという。

      ■感染症の場合、化学療法 は肺炎、淋病、梅毒の制圧に大きな役割を果たしてきた。かつて「老人の友」であった肺炎による死亡は、スルフォンアミド と抗生物質が市場に出てから毎年5〜8%のペースで減少している。梅毒、鵞口瘡 、マラリアや腸チフスの多くは、短期間のうちにたやすく治癒させることができる。性病の増加も時代の新しい風潮のせいであって、薬効がないせいではない。マラリアの再興は農薬に耐性のある蚊の発生によるもので、新しい抗マラリア薬の不足によるものではない。先進国の病気である小児麻痺 は予防接種でほぼ一掃され、百日咳や麻疹 に対してもワクチンが貢献していることは確かである。これらは「医学の進歩」という一般人の信仰を裏付けているように思われる。

しかし、非感染症疾患(特に癌)についての効果については極めて懐疑的であった。おそらく医学界からの反駁の一つはこの点にあるであろう。当時化学療法は依然未熟な段階であった。後の時代から振り返ってみて批判が妥当である場合も、そうでない時もあるのは当然である。

      ■非感染性疾患に対する医療の有効性についてはさらに疑わしい。最も一般的なタイプの癌(症例の90%を占める)の生存率は、過去25年間ほとんど変化していない。あたかもウエストモーランド将軍 がベトナムから発表したように、アメリカ癌協会の声明はこの事実をずっとあいまいにしてきた。

      ■高血圧の薬物治療は有効であり、悪性疾患を持つ少数の人々には副作用のリスクを正当化できる。他方で無分別な動脈置換術を押し付けられようとしている1千万から2千万人のアメリカ人にとって、この施術は証明された利益をはるかに上回る重大な害をもたらす可能性がある。

 

医師が引き起こす健康被害

イリッチは医療技術の持つ悪影響を疫病の一つと捉える。彼のレトリック展開の最初の段階は臨床的医原病である。

      ■医療技術が引き起こす痛み、機能不全、障害、苦悩は、今や交通事故や産業事故、さらには戦争による罹患率と肩を並べ、医療の悪影響は現代の最も急速に広がる疫病の一つとなっている。しかし医療制度の殺人的な不法行為の中で、現代の栄養不良だけはいろいろな形で現れる医原病よりも多くの人々に害を与えている。

      ■一般的で広義の意味では臨床的医原病は、治療薬、医師、病院が病因となる。すなわち「病気を引き起こす」原因となる臨床上のすべてのものが含まれる。このような治療に伴う多くの副作用を「臨床的医原病」と呼ぶことにする。このような副作用は医療と同じく古くから存在し、常に医学研究の対象になってきた。

中でも医薬品は両刃の剣である。医師は薬の処方権を独占するが、十分な知識と用心深さに欠けるきらいがある。現代の状況は薬への信仰と依存度を一層高め、薬剤耐性の増加は世界保健機関が認める現在進行形の公衆衛生上の重大問題である。

      ■薬は本質的に毒である 。その副作用は薬が強力になり、普及するとともに増加してきた。米国と英国では、成人の50〜80%が24時間から36時間以内に処方箋医薬品を服用している。ある人は間違った薬を飲み、ある人は期限切れの薬や汚染された薬を飲み、ある人は偽造医薬品を飲み、ある人は複数の薬を危険な組み合わせで飲み、ある人は滅菌が不十分な注射器で注射をされる 。ある種の薬物は中毒性があり、ある種の薬物は突然変異を起こし、あるいは着色料や殺虫剤との併用によって突然変異誘発性を示す。患者によっては抗生物質が正常な細菌叢 を変化させ、多重感染 を誘発し、耐性菌の増殖や宿主への侵入を許してしまうこともある。また薬剤耐性菌の繁殖を助長する薬剤もある 。

      ■医師が原因となる痛みや病気は常に医療行為につきものであった。専門家の無神経、怠慢、無能は大昔から医療の背信行為であった。医師が個人的に知っている患者に技術を駆使する職人から、不特定多数の患者を相手に科学の知見を適用する技術者へと変貌するにつれ、医療の背信行為が不特定多数から尊敬を得るものになっていった。問題は医師による現在の健康被害のほとんどが、どう言う被害が生じるかを分かっているはずの専門的判断と操作手順を学び訓練されたスタッフの日常業務で発生している。

 

…………………………………………………………….

原書(1995年版第I部 無益な医療、医師が引き起こす健康被害)を読むための語彙の注釈

本来、原著もしくは原著の訳に対して注釈をつけるべきであるが、ここでは読者が知的好奇心から原著を手に取って読むことを期待している。私が1995年版を訳した際に必要と思われた語彙の注釈をアップした。この語彙を眺めるだけでも、イリッチの生きた時代背景やイリッチの思想の一端が読者の興味を惹くことを期待している。

1.     感染症と非感染症(NCDs:Non-communicable disease)には重要な違いがある。感染症は、細菌やウイルスなどの病原体によって引き起こされる疾患で人から人へ伝染する。非感染性疾患は主に生活習慣や環境要因によって発症する慢性的な疾患である。抗生物質は細菌に効果があるがウイルスには効果がない。ウイルスには抗ウイルス薬を使う(例:帯状疱疹)。

2.     化学療法は元々感染症の治療を化学的に作られた薬剤によって行うことであった。現在では主にがん治療を指す用語として広く使用されるが、がん以外の疾患に対しても化学療法という用語が使用されることがある。例:自己免疫疾患や一部の神経疾患の治療。

3.     スルフォンアミド構造は抗菌薬(サルファ剤)や利尿薬、糖尿病薬など、多くの医薬品の部分構造として利用されている。

4.     鵞口瘡(がこうそう)は、主に乳幼児の口の中に発生する「カンジダ・アルビカンス」というカビ(真菌)による感染症。医学的には「口腔カンジダ症」と呼ばれる。舌や頬の内側、唇の裏、上あごなどに、ミルクかすのような白い斑点や苔状の付着物が現れるが、多くの場合、痛みやかゆみはほとんどなく、赤ちゃんの機嫌や哺乳に大きな影響はないとされる。

5.     小児麻痺はポリオと言われる。1961年にポリオの大流行が発生し、ポリオ生ワクチンをソ連から緊急輸入して全国で接種を展開し1970年代には収束したが、ポリオフリー(ポリオのない清浄国)に世界保健機関から認定されたのは2000年である。

6.     三種混合(DPT)ワクチンはジフテリア、百日咳、麻疹を対象とする。MMR三種混合ワクチンは麻疹、おたふくかぜ、風疹を対象とする。

7.     テタヌスは破傷風の和名。初期症状は口が開けにくい(開口障害)、顎が疲れる、首筋が張る、体が痛いなど。進行すると全身の筋肉が硬直し、後弓反張(体が弓なりに反る)、呼吸困難、けいれん発作が起こる。

8.     主にA群β溶血性連鎖球菌による感染症。特に5歳から15歳の子どもに多く発症し、急な高熱、のどの痛み、全身に広がる特徴的な赤い発疹、「イチゴ舌」(舌が赤くなりブツブツが目立つ状態)などが主な症状である。ペニシリン系抗生物質による治療が有効だが、抗生物質は医師の指示通り飲み切ることが重要である。

9.     リーシュマニア症はサシチョウバエによって媒介される寄生虫感染症で、皮膚・粘膜・内臓に多彩な症状を引き起こす。特に内臓型は重篤で、早期診断・治療と感染予防が重要。世界で400~1200万人が罹っている「顧みられない熱帯病」の一つである。

10. ツエツエバエが媒介する寄生原虫が引き起こす熱帯性の感染症。初期症状は発熱、悪寒、頭痛、筋肉痛、リンパ節腫脹など。病状が進行すると、寄生虫が中枢神経系に侵入し、睡眠障害(昼夜逆転、日中の強い眠気、嗜眠)、錯乱、けいれん、歩行困難などの神経症状が発現する。

11. 2017年に厚生労働省が歯磨き粉のフッ化物配合量の上限を1500ppmに引き上げ、日本でも世界基準やISO規格と同様の高濃度フッ素配合となった。フッ素の効果は歯質強化、再石灰化の促進、細菌の酸生産抑制である。フッ素症(歯に褐色の斑点や染みができる症状)を避けるため6歳未満の子供には高濃度フッ素配合歯磨き粉の使用を控えるとされる。

12. 静脈栄養、経管栄養ともに口から十分に食事をとることができない場合の栄養補給法である。静脈栄養には末梢静脈栄養(1日1000kcal程度)、中心静脈栄養(1日2500kcal程度まで)の二つがある。経管栄養は経鼻、経口、胃ろうの3ルートのいずれから投与する。回復の見込みのない終末期の寝たきりの患者では、いたずらな延命につながるという批判もある。

13. ウエストモーランド将軍は南ベトナム軍事援助司令部の指揮官として、アメリカ軍のベトナム戦争への本格介入を指揮した。1968年1月のテト攻勢で北ベトナム軍とベトコンが南ベトナム全土で一斉攻撃を行い、アメリカ国内外で衝撃を与えた。将軍はこの攻勢に軍事的勝利したと主張したが、アメリカ国民に戦争の終結が遠いことを印象付けた。アメリカ癌協会を揶揄する表現である。

14. パパニコロウ膣塗抹標本は婦人科領域で広く用いられる細胞診検査の一つ。膣や子宮頸部などから採取した細胞をスライドガラス上に塗抹し、パパニコロウ染色法によって染色した標本。主に子宮頸がんやその前がん病変、また膣や子宮の異常細胞の早期発見を目的として利用される。

15. 皮膚がんの種類や進行度によって大きく異なるが、現在では全体として治療成績は良好な傾向にある。皮膚がん全体の5年相対生存率は84%以上、10年相対生存率は80%以上とされている。

16. 乳がんは比較的ゆっくり成長し、多様な治療法がある。手術、放射線治療、ホルモン療法、化学療法、分子標的療法など。ステージ0、1の5年生存率は99.8%~100%。ステージ2の5年生存率は94.8%。ステージ3の5年生存率は80.3%。ステージ4の5年生存率は約38.7%~56.5%と比較的良好である。

17. がんの早期介入と生存率には強い相関関係がある。早期発見・早期治療は、多くのがん種において生存率を大幅に向上させる重要な要因である。多くのがん種において、転移していない段階で発見された場合、約90%の患者が診断後5年経過しても生存しているという結果が示されている。一方、がんが進行し周囲の臓器やリンパ節、さらには遠隔臓器に転移すると5年生存率は大幅に低下する。

18. 治療は患者の得る利益と不利益を比較考量して行われる。推奨される標準治療であっても、医師がその治療がもたらす不利益の可能性を考慮して標準治療を行わなかった場合に、その結果として患者の状態が悪化しより適切な治療機会を逃すことになれば、医師は患者から不作為を理由として訴えられることがあり得るということを述べている。

19. 「薬は本質的に毒である」という考えは、16世紀のスイス人医師パラケルススの格言に由来する。彼の有名な格言は「毒性のないものは無く、用量が多いか少ないかで毒にもなり、薬にもなる」。この原則は現代の毒性学や薬理学の基礎となった。

20. 日本ではワクチンの集団接種で使われた注射器が使い回しされ、B型肝炎の被害が全国で約40万人にも上った事件がある。2025年現在もまだ国による救済措置が続いている。

21. 細菌叢(そう)とはある特定の場所に集団として存在している細菌の集まりを指し、「フローラ(flora)」とも呼ばれる。ヒトの体内や体表、動植物、さらには土壌や水中などに存在する。ヒトの体には、腸内、皮膚、口腔、鼻腔、呼吸器、生殖器など、外部と接するさまざまな部位に常在細菌叢が存在する。健康な状態ではヒトと共生し、体のバランスを保つ役割を果たしている。

22. 代表例はAIDSと結核の多重感染である。1983年にHIVが発見されてから問題となった。2003年末時点では、世界で約3,800万人のHIV感染者とAIDS患者のうち、3分の1が結核にも感染していると報告され、日本でも1990以降公衆衛生の問題となっている。

23. 薬剤耐性菌とは細菌が薬剤に対する抵抗力を獲得して抗生物質や抗菌剤の効果がなくなり、治療が困難になる現象。代表例はとしてメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)、多剤耐性結核菌によって結核治療に用いる複数の抗菌薬が効かなくなるなど。抗生物質、抗菌剤の開発と耐性菌の出現はいたちごっこであるが、耐性獲得は細菌の生き残り戦略と言われる。

24. 院内感染、手術ミス、誤診、薬剤の誤投与などが大学病院の医療事故として報じられるが、その背景には高度で複雑な医療、新規医療技術の導入、教育・研修機関としての役割、重症患者の集中、多職種・多部門の連携などの課題がある。

25. 診断技術の限界、因果関係の不明確さ、医療行為のリスク認識不足、症状の非特異性などが絡み合い、医原性の健康被害は過去に「偶発的」とされていた。「偶発的」というのは「誰も責任を問われない」状況と同義である。現在では診断技術や医学知識の進展により、医原性を特定できるケースが増えている。

Next
Next

Limits to medicine Medical Nemesis: The expropriation of Health by Ivan Illichを読むヒント(3)疫病となった現代医療、医師の力を信じる幻想