京都鉄道博物館から産業革命へ(1)

 念願の京都鉄道博物館を訪ねた。何に感動したか?それは蒸気機関車であった。新潟県の新津というところの鉄道博物館にも行ったことがある。そこは機関車が陳列されているが動かない。京都博物館では実物の蒸気機関車が入線の実演をするのである。行ってみるまでその実演があること知らなかった。アナウンスが毎日1回の実演が始まることを案内した。

 蒸気機関車は若い時の旅の思い出と共にあった。姫新線に乗って播磨新宮へ赴くときの風情は特にお気に入りであった。播州平野の秋は、田んぼの稲穂が風にゆれて、風の通り道が目に見える気がした。揖保川沿いに並走して山間部に分け入るときは、石炭の煙の臭いが新宮の近づいたことを知らせた。

 博物館では、蒸気機関車の実物をプラットフォームの高さからだけではなく、下に降りて線路に立った位置からも動輪の大きさや制御構造の仔細を見、触ることが出来る。こうした視覚と手触り感覚は、相まって機関車が鉄の塊ではなく精妙な生き物だと思わせる。蒸気機関車の運転室を間近に覗いたのも初めてである。思ったより狭い。運転室の真ん中に石炭をくべる開口部がある。蒸気機関車は後ろに石炭を積む。これを炭水車(テンダー)という。機関車本体の後部に積むときはタンク機関車と呼ぶ。

 蒸気機関車が生き物だということは、ダイナミックに煙と蒸気を吐き出し、警笛を鳴らして疾走する姿による。電車よりよほど生命の躍動感がある。ところが今回は運転室を覗いたことで、蒸気機関車が別の意味で生き物であることを実感した。石炭というエネルギー源を絶えず機関車に投入する火夫(機関助手)の労働である。蒸気機関車は蒸気の圧力で走る。出発進行に必要な蒸気圧を得るには、数時間の準備を必要とするという。電車は電気を得てレバー一つで発車、進行、停止する。この差はとてつもなく大きい。

 私は特に夜行列車の旅が好きであったが、真夜中に寝ずに石炭をくべる重労働を想ったことはなかった。火夫は、火室の火の状態とボイラー圧力、水位を見ながら、石炭をくべる量・タイミング、給水の量を調整し、圧力が落ちすぎず、しかし上がりすぎて安全弁が吹きっぱなしにならないよう熟練の技を担当区間中、駆使する必要があった。しかも天候、気温、勾配、トンネル内など刻々と変化する状況に応じて、火力と給水を調整しなければならない。灰の掻き出しは客の知らない苦労である。イリッチは健康とは、外界の状況に応じて身体内部が応答する力である、と言ったが、まさしくその通りである。蒸気機関車は外見のたくましさだけでなく、その内部においても生命そのものではないか。

 日本は山国である。そのため鉄路には広軌でなく狭軌を採用した。起伏が多く曲がりくねった地理的条件は、運行の難度をさらに上げたであろう。それでも日本の蒸気機関車の運行状況は戦前から世界第一級とされたと記録されている。その定時運行を支えたのが、運転区間を細かく区切り、機関車、乗員の交代、整備体制の充実であり、機関士と火夫の熟練と重労働という現場主義であった。定時運行は現場の技量の高さの指標であったであろう。まだ機械と人間が対話していた時代であったことを思わせる。

話を機関車の実演に戻す。機関車が動く距離はせいぜい100mぐらいであった。しかし警笛は別格であった。間近で鳴り続ける警笛はまさに咆哮であり、自分の存在を叫んでいるようであった。

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