京都鉄道博物館から産業革命へ(2)
子どもたちが喜ぶものがある。ジオラマやシミュレーター、実物の運転席などは大人でも楽しい。昔、子供のころに木製の鉄道模型を作って遊んだ日々を思い出す。電気で動く模型は手の届かない憧れであった。いろいろな模型の展示品の中に、産業革命当時の蒸気機関車、外輪を備えた帆船、くみ上げポンプがあった。これらを見ているうちに、産業革命とは何かという問いが浮かんできた。蒸気機関車は一台で何台もの客車、貨車を牽引する。その力たるやすごいものがある。蒸気の圧力はとてつもなく大きい。蒸気機関が発明されたことは、人間の力を凌駕する手段を手に入れたことと言えるのではないか、そんな想いがよぎった。
石炭は太古の太陽エネルギーが化石化したものである。これを燃やして水を蒸気に換え、その圧力を往復運動、回転運動に変換する。つまりエネルギーの解放と力学的な変換、そして制御。これらを蒸気機関として一度に実現したのが産業革命の原点ではないかと思った。石炭は石油にとって代わられ、蒸気機関は内燃機関にとって代わられたが、エネルギーの解放という意味では同じであり、力学的変換と制御の本質は変化していない。模型を眺めているうちに、制御の原型は歯車であるのではないか、と気が付いた。歯車はピストン運動(往復運動)を回転運動に換えて別の空間(機構)に橋渡しをする。それととともに、ギア比でトルク制御を行う。専門家には何でもないことが、素人の私にはとても新鮮であった。
ついでの連想は歯車式計算機である。私が学生の頃には歯車式計算機の姿は消えかけていて、かろうじて思い出す。歯車式計算機は17世紀にライプニッツやパスカルがその原型を作ったとされる。歯車式計算機は「歯車やカムの組み合わせで加減乗除を行う」装置であった。日本で普及したタイガー計算器など手回し式計算機は、内部の歯車列を動かし、繰り上がりや桁送りを自動的に処理していた。歯車は力学系の変換だけでなく、情報系の変換でもある優れものと言えよう。歯車は古代からヨーロッパ、アジアで使われていたというから、現代の制御という概念の一要素はずいぶん古いルーツを持つと言える。
エネルギーの解放と制御が産業革命の本質ではないかと問ううちに、電気エネルギーとは、原子力とはなにかと連想が続く。これらもエネルギーの解放と制御という本質は同じであろう。核分裂を一気に解放させれば原子爆弾という殺戮兵器となり、核分裂を制御することで平和利用が可能になる。 改めて制御とはなにか。蒸気機関車に立ち戻れば、石炭投入という入力と、速度、牽引力という出力調整を運転手と火夫が行っていた行為である。そこには人間と機械の対話が不可欠であった。ざっくり言うと、その対話は今日でいう因果のフィードバックという円環と言えるであろう。現代の制御も、電気信号、光信号という情報を往復、円環(Loop)させるという意味では、回転運動あるいは循環運動と解してよいのではないのかと思うのだが、専門家の見立てはどうであろうか。横道にそれるがPDCAサイクルの思想も、組織や品質を制御する円環運動である。円環運動はもの事を前に進めさせる本質を持つといえるかもしれない。
産業革命から現代に至る産業・工業の発展のつながりが納得できたような思いだった。人類はエネルギーの解放と制御という本質を悟っていたが、野望の制御だけは未だに悟ることができないでいるようだ。3時間の滞在があっという間に感じられた京都鉄道博物館であった。